ブログ - ハロアルの音叉
祐介先生こんばんは
現在、フィリピン沖に発生している台風22号はタイ語でマンクット、これは果実の女王マンゴスチンのことで、まさに台風の女王の異名のような大型の台風となりました。
今朝、フィリピンの友人たちに連絡を取った際にも、これから明日にかけて大規模な範囲で避難警報が出され、特に河川や海沿いのスラムの人たちは本当に危険な状況にいるそうです。
私には祈ることしかできませんが、どうか無事でいて欲しいと願うばかりです。
さて、祐介先生。
今朝はとてもうれしいことがありました。
今年からハロアルの会の副団長を務めてくださっている宮城県 三浦先生からの連絡です。
彼がこの活動に初めて参加をしたのが2011年でした。
その後東日本大震災が発生し、私や祐介先生らは物資を届けに南三陸町を訪れましたね。
その時、彼は地元である宮城県のために自分も何かできないかと訪れた南三陸町の防災センターで偶然にも自分が以前参加をした「ハロアル」の文字が書かれている物資を目にしました。
彼はその物資を見たとき、フィリピンだけではなく、東北のためにも物資を届けてくれるハロアルの活動に感銘を受け、今度は自分がフィリピンの人たちのために恩返しをしようと決意し、再び参加をしてくれました。
その彼が10月の末に初めて地元の中高生や地域の人たちのために「ハロアル活動を話して欲しい」と講演の依頼を受けたそうです。
そこで私にスライドや内容の相談にのって欲しいと依頼をしてくれました。
電話越しには私に依頼する恐縮さと初めての経験に対する緊張と戸惑いがとても感じられます。
なぜなら私も15年前全く同じように初めての講演を依頼されたとき、彼と同じように不安に駆られ、ハロアル会長の林先生に助けを求めたからです。
私は彼に言いました。
「先生、私もできる限りお手伝いします。
まずはスライドや講演内容をチェックしていきましょう。」
そして言いました。
「一所懸命やればやるほどこれからもっとあなたに色々な人が話を聞きたいとお願いが来ますよ。
それがボランティアの種まきであり、あなたが音叉になるということだからね。
そして、自分ができないときはいつでも私が宮城県まで行ってお手伝いしまから。」
三浦先生はとてもうれしそうに
「ありがとうございます」
「団長、心強いです」と言ってくれました。
私は彼に話ながら15年前、初めての講演会の時に林先生がわざわざ那須にやってきて下さったことを思い出しました。
あの時どんなに嬉しく心強かったことでしょう。
そして私もまた林先生から「音叉になりなさい」と言っていただきました。
その私が今全く同じ言葉を彼に投げかけているのです。
東北の地に新たな若いハロアルの音叉が誕生しました。
彼の言葉がこれから沢山の人たちに響くことを心から願っています。
2018年9月14日 ハローアルソン・フィリピン医療を支える会 団長 関口敬人